愛のある幻想水滸伝の評論記事とそこから思うこと

先日、するめ(以下)マン さんが幻想水滸伝についての記事を書かれました。

記事のタイトルが刺激的に感じるかもしれませんが、内容は重厚かつ緻密で、愛に溢れた幻水評と感じました。全体として同意しかないので、それだと本記事がこれで終わってしまいそうなのですが、一つだけ思っていることを付記します。


ある創作物(作品やキャラ、映像や音楽など)について、自由に意見を言えないことというのはとても怖いことだと思っています。クソゲーをクソゲーと言えない世界は、優しい世界などというよりかは表現が制限された怖い世界だと思っています。

もちろん、意見や考えを発するにあたっては適切な場所や状況を選ぶべきです。そして単に対象を攻撃するだけのような内容も控えるべきでしょう。

しかしながらそれを踏まえた上で、ある作品を嫌いだとか面白くないとかと言うことが許されないというのは健全ではないと考えます。そしてそれが法や規則による制限ではなく*1、コミュニティや関係者などによって形成された無言の圧力だとしたらとても怖いと思っています。宗教的な公式崇拝にも危惧を感じています。

刺激的な意見を見るとついカッとなってしまうこともあるでしょう*2。だからといってそれを発した人を、発したという事実それだけで非難することは、結局はその作品の価値を下げることにつながるのではないでしょうか。また、言い方や言葉づかいが乱暴だからといって、やはりその事実それのみで非難することも好ましいとは思いません。

私が好ましいと思っているのは「健全なケンカ」です。お互いが激しくやりあったあとに、数日ぐらいは険悪な雰囲気が続くも、その後は冷静になって振り返って、お互いがなんとなく普通の関係に戻っていくようなケンカです。

ただ、私も含め、そんな聖人みたいなケンカができる人が多いとは思えません。それでも、私はそういうケンカができるように努めていきたいと考えています。

*1:そんな制限はありえませんけれども、あくまで例えです

*2:私もあります

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