約束の地

あの日あの時のキャロの想い出

「ケータイ(依存)」は単純悪なのか

ここ2日間ほどの読売新聞で、「ケータイ依存」という単語が飛び交いまくっている(新聞社のWebページはすぐに消えるので、早期の閲覧を推奨)。

メール多い子、親と会話不足…文科省、携帯実態調査

http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20090226nt05.htm

小中高生調査「ケータイ依存」浮き彫りに

http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn090226_1.htm

食卓・お風呂でも、子供のケータイ依存“重症”…文科省調査

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090225-OYT1T00884.htm

2月26日付 よみうり寸評

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20090226-OYT1T00573.htm

携帯利用実態 親子の認識の差を埋めよう(2月27日付・読売社説)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090226-OYT1T01208.htm

どの記事を読んでみてもしっくりこない。どうしてなのか。その理由をはっきりとさせてくれる一つのエントリに出会った。

ケータイ依存症クソワロスwwwwwww

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090227/1235672622

このエントリの第二段落が全て自分の言いたいことを言ってくれている。

一連の記事を書いた記者からみれば、自分は「ケータイ依存」だし「ネット依存」だし「ゲーム依存」でもあるのだろう。ある行動に対して「悪」の印象を与えるのに、「依存」という言葉を使うのは便利なことである。記者(たち)にとっては、「(若年層の)ケータイ(依存)」=「悪」という図式がまず始めにありきなんだろう。

朝から電車の中でわざわざ狭い中、必死で新聞読んでいる「新聞依存」とか、週刊誌を読んでいる「週刊誌依存」とかが話題にならないのはなぜなんだろう。

その答えとか、「ケータイ依存症」についての全てのモヤモヤ感は、前述のエントリの第二段落で払拭される。スッキリするぐらい気持ちよくこの不信感を吹っ飛ばしてくれる名文だと思う。

人と人のコミュニケーションのありかたが変化してきてる

そう、それを理解していないとこの問題の本質が理解できない。「デジタルネイティブ」と呼ばれる新しい考え方を持つ人たちとの交流などできない(「デジタルネイティブ」については、ここなどを参照)。

この2日間程度で怒濤の勢いで読売が記事にしていて、少々腹立たしい部分もあったので勢いで書いてみた。もちろん、「ケータイ依存」が負の面を少なからず背負っている点は理解している。

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