最初に以下のエントリでその存在を知った。
同人ゲーム「ひまわり」が「月姫」「ひぐらし」に続くムーブメントにならない(かもしれない)3つの理由 - やや最果てのブログ
http://d.hatena.ne.jp/sunagi/20080521/1211393319
そしてそれに対するエントリが次のエントリ。
同人ゲームが大ムーブメントになるためにはなぜ絵が下手くそでなければならないのか:bmp_69
http://bmp69.net/blog/eroge/dojin_hetauma.html
ここでは後者のエントリにだけ絞って話を進めることにする*1。後者のエントリの要点は本文最後にまとめられているが、さらにそこの中核部分を引用するとしたら以下の部分になる。
絵が下手くそな同人ゲームがなぜ大ムーブメントになるのかというと、一つ目は二次創作品が作りやすく、また作る気にもさせやすいということ。そのため下手くそな絵でも二次創作作品によってオタクの欲望は満たされる。また、下手くそな絵はオタク的な要素を薄め一般人にも広がるために足場になる。
これについて思ったことを書いていきたい。
まず第一に、後者のエントリの「コメント」にもあるように、絵が下手*2ということは逆にそれだけストーリーやシステムがしっかりしていないとヒットしない、と言える。そして変な評価が混じりにくい*3ため、純粋に人に薦めやすいという理由があるのではないか*4。「ひぐらし」などはこのパターンだと思う。
また第二に、絵が上手だと、逆に商業作品に近い形がして、評価に補正がかかる可能性があるのではないか。商業作品をプレイしている感覚に陥ってしまい、様々な点において評価の基準がズレてしまうことがあると思う。例えば、その作品が非常に面白くても、「面白くて当然」という風にとらえることになりかねない、ということになる。そうするとその作品は、多くの商業作品の中の「それなりに面白いゲームの一つ」として埋もれてしまい、それ以降の大規模なムーブメントにはつながりづらい。
最後に1点、既に指摘されていると思うが、「絵が下手くそ」ということで、あえて同人らしさを残しているということでブレイクにつながりやすい点があると考えている。単刀直入に言えば、同人の世界で閉じていられる、ということになる。下手に商業主義に陥らないで、「その作品は自分たちのものである」という共同意識が生まれる。それは仲間内での口コミに直結し、作品が広がる大きな原因になりうる。これが「絵が下手くそ」であることによるメリットの一つではないだろうか。
結局、「絵が下手くそ」という欠点があることで、そこに様々な利点が入り込む余地*5があるのだと思う。これは「絵が下手くそ」以外にも通じることかというと、それは必ずしもそうとはいえない。「ストーリーが下手くそ」の場合は、ゲームの根幹に近い部分をデメリットとして持つことになり、「絵が下手くそ」な場合と同様に考えられないと思う。
「絵が下手くそ」というのは、やはりそれのみの場合がもつ、同人ゲームがブレイクするための一つの条件なのかもしれない。それは、「ゲーム」というものの本質がどこにあるのかを示しているのではないかとも思う。