約束の地

あの日あの時のキャロの想い出

「秒速5センチメートル」(第三話)の貴樹のその後

秒速5センチメートル」を再視聴した。この作品は間違いなく心を蝕む。ありとあらゆる感情を喰らい尽くして、人を不安と絶望と悲しみの底へと追い込む。合法的に傷害が成立するのではないか。

各論はもはや語り尽くされているし、あまりだらだらと重複することを書くことは好まないので、意外と触れられていない(が、重要だと思う)ことを1点だけ書きたい。

それは、第三話のラストシーンの意味である。あそこで貴樹は「吹っ切れ」て新しい人生を歩むことを決断し、事実上のハッピーエンド、という解釈は多い。

僕は違うと思う。部分的に。

あのシーンは、「明里」という物理的な対象に対して一つの区切りをつけたことには間違いない。しかし、貴樹自身の見つめる世界は変わっていない。明里そのものはもう手に入らないけれど、明里のような存在、明里のクローンのような存在が絶対的に貴樹の頭の中を支配している。むしろ明里との区切りがついたことでそれがより強固になった。すなわちあの後、一生、貴樹はおそらく誰に接するにしても明里の影を消して人付き合いをすることはできない。

その結果待っているものは何なのか?

果てしない理想と現実の乖離である。第二話の最後で花苗が貴樹に感じた感情を、貴樹に関わる人は一生持ち続けるに違いない。花苗は貴樹のことを見抜いていた。「どこか違うものを見てい」る存在ということを分かっていた。そのまるで宇宙人のような貴樹のことを、今後はより多くの人が認識するに違いない。貴樹が第二話中に独白する、「水素原子一つに出会うこともなく、果てしない宇宙の深淵をさまよい続ける」のくだりを、貴樹は一生実践する。明里(のクローン)に出会うことが無い貴樹は永遠と同じ思考をぐるぐると回り続ける。たとえ明里のクローンに出会ったとしても、それはそれで明里自身ではない。

誰も、貴樹に「1センチも近づ」けない(第三話より)。貴樹も、自分の信念(アイデンティティと言ってもよい)は曲げない。曲げられない。自分が生きた意味を否定できない。明里その人自身のことが好きなのだと、その人こそを愛しているのだということを否定することはできない。一生。

貴樹は一生、「明里」という亡霊に取り憑かれ、何者も掴めずに、年を重ねるのみなのである。あのラストシーンは、貴樹がそういう絶望へと転落していくことの始まりを示しているのである。

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