「孤独」とは何か

1.「健康」の定義
WHO(世界保健機関)は、「健康」を次のように定義しています。

「健康とは単に病気がないとか、虚弱ではないというだけでなく、身体的、精神的、そして社会的に完全に良好な状態をいう」

つまり、ケガをしていないとか運動ができているとか、そういう状態のみで「健康」ということは必ずしもできないというわけです。「社会的に」さえ「良好な状態」であることが必要なわけです。

2.「孤独」の一般的定義
同様の論点に「孤独」の定義があると思います。

ウェブから検索できる辞書やWikipediaでは次のように定義されています。

仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。(デジタル大辞典)

たった一人でいる場合だけではなく、大勢の人々の中にいてなお、自分がたった一人であり、誰からも受け容れられない・理解されていないと感じているならば、それは孤独である。(Wikipedia)

3.「孤独」でない状態とは
私自身はこれらの定義に加えて、「孤独」にはある定義が存在すると推測しています。その定義を書く前に、「人」が「孤独」でない状態というのはどういうものか考えてみます。

まず、人というものは他者の存在があって初めて自分自身の存在を認識することができるものです。他者がいて、その他者と自分との違いを発見することで、自分らしさ、いわゆる「アイデンティティ」を獲得することができます。アイデンティティを獲得した人は、他人とは違う独自の自分に気づき、その部分を誇りに思って社会活動の基盤とすることになります。そして社会の中で徐々に自分の存在を自分で確固たるものにします。自分が生きていることに実感がわくようになります。自分にしかできないことを積極的にこなし、社会と融合して人間的に成長していきます。このとき、「人」は「孤独」ではありません。

4.「孤独」の新しい定義の提案
そこで改めて「孤独」というものを考え直してみます。「孤独」の新しい定義の提案です。すなわち、次のようなことが「孤独」の定義として付け加えられるのではないでしょうか。

「孤独」とは、「自らが他者を意識できない状態」である

Wikipediaの定義と異なる部分は、「自らの方から他者を意識できない」という点です。Wikipediaの定義は、「他者が」本人を意識していない(極端な場合は「無視される」)状態を指し示しています。それとは異なり、何らかの理由で自分の思考の中に他者のことが入り込む余地がないとき、それは「孤独」であると言えるのではないかと提案するものです。

具体例を挙げてみましょう。「悲しみ」「苦しみ」「つらさ」「厳しさ」「無力感」などに打ちひしがれている人にとって、主体的に他者を認識するというのはとても困難なことです。そんなときは自分のことしか考えられないのが普通です。おそらく後悔の念に押しつぶされようとしていることでしょう。泣きじゃくっていることでしょう。このとき、本人は「誰からも理解されていない(Wikipediaより)」とは考えていないと思います。それ以前の段階の問題だからです。

自らの方から「孤独」状態を作りだしている、と言い換えることもできます。実際、号泣をしている人に対して周囲の人は簡単に声をかけることはできないでしょう。他者はむしろ「理解したい」と考えているのに、本人の方からそれを拒否しているような状況になっているのです。前述までの定義にはない「孤独」の発生です。

したがって、「自らが他者を意識できない状態」であるときもまた、人は「孤独」であると定義させていただきたいと思います。

5. 「孤独」に対するケア

このような「孤独」に陥っている人に対して、私たちはどのようなケアを行えばよいのでしょうか。この解はただ一つだと思います。

「待って、話を聞く」

それだけです。「孤独」である人の主観が正常に働き始めるまでとにかく辛抱強く待つしかありません。本人は一種の錯乱状態にあるわけで、そのような状態の人の思考にはどんな他者も入っていくことはできません。落ち着くまで十分に待ってあげることが大切です。

ある程度物事を主観的に見られるぐらいまで復調した場合は、音楽を聴いたり、本を読んだり、映像を見たりすることで完全に「孤独」の状態から抜け出すことができるかもしれません。積極的にそのようなことを勧めてみましょう。社会との接点を復活させる契機になります。

どの程度をもって「孤独」から脱したかを見極めるのは難しいと思いますが、一つのポイントとして「その人なりの長所が現れてきたとき」が挙げられます。このときはアイデンティティを取り戻しつつある段階にあり、「孤独」からの脱出がかなり進んでいるということが推察できます。この状態がしばらく続くのを確認したならば安定した状態に突入したと考えてよいのではないでしょうか。

以前僕の先生が言っていました。「『医者は患者の痛みや苦しみは絶対に完全には分からない』、ということを理解しなさい」と。そして同時にこうも言っていました。「ただし、その痛みや苦しみを理解しようとする姿勢が何よりも重要で、そのことが患者にどれだけ勇気と希望を与えるのか計り知れない。それは他の何よりも有難いケアなのです」と。

6. 新しい「孤独」の定義から言えること

上述した新しい「孤独」の定義から言えることは、人は、いつでも「孤独」に陥る可能性を含んでおり、それに対する適切な対処法を身につけておく必要があるということです。「孤独」は誰にでも起こりうるものであり、人間である以上は「孤独」に対する対処法を身につけていなければいけないのです。

もちろんできることなら「孤独」に陥りたくはありません。物理的にしろ精神的にしろ、いつも誰かとつながっていたいというのは人として当然の思いです。しかし必然として訪れる「孤独」があるのもまた事実です。その時になって茫然自失とならないように「孤独」への対処を怠らないことが大切だと考えています。

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