約束の地

あの日あの時のキャロの想い出

ゲームの才能は生まれつきのものなのか?

「WIRED VISION」で興味深いエントリを見つけました。

ゲームの才能は訓練より「天性」:研究結果 | WIRED VISION

http://wiredvision.jp/news/201003/2010032521.html

要点を引用すると以下のようになります。

仮説は、ゲームの技術は訓練できるものではなく、熟練者とそうでない者の間には生まれつきの差があるのではないかということ

魂斗羅』や『ロックマン』をプレイしてうまくいかないときには、技術の欠如なのではなく生物学的な問題である可能性がある

果たして本当にそうなのでしょうか。はてブのコメントでも様々な意見が見られますが、自分自身としてはこの仮説は限定的なものであるという印象を持っています。すなわち、特定の動作(のみ)を要求するゲームに対しては生まれつきの先天的な「才能」というものがある、ということです。

具体的には、シューティングゲームやそれに類似している音ゲーなどがそれに当たると思います。これには、前述のエントリにあるような「認知能力」が強く影響していると考えるからです。物体の動きを正確に把握し、それに反応する能力です。

エントリ中にある「魂斗羅」や「ロックマン」は必ずしもふさわしい例とは思いません。ともに、トライアンドエラーを繰り返すことで徐々にではありますが前に進めるゲームだからです。そう言い切れるのは、「ゲームセンターCX」において有野課長が両方のソフトに挑戦しており、そのことを実例として如実に体現しているからです。反面、シューティングゲーム*1ではその成長の鈍さがあからさまに出てもいました。

ゲームには複数のジャンルがあり、今は多岐のジャンルに渡る作品がほとんどです。「アクション+シミュレーション」、「アクション+RPG」、「RPG+シミュレーション」など、具体的な作品は容易に思い浮かべることができると思います。

それら個々のゲームを思い浮かべてみて下さい。そのいくつかについては、「プレイヤーの成長」というものが実感できるゲームが含まれていないでしょうか*2

ゲームの才能が生まれつきのものならば、そのような成長は体感できません。しかし、ゲームを長時間プレイすればするほどゲームの進行がスムーズになるものがあるということは、冒頭の仮説を(一部)否定する根拠になり得ます。

何より、冒頭の仮説が正しいということになっては、ゲームをプレイする士気が失せてしまうではないですか。ゲームは楽しくプレイするものだ、というのが自分の信念ではありますが、楽しむためにはやはりある程度は「上手く」なる必要があるわけで、それができないということはゲームは楽しいものではなくなってしまうということです。

それではあまりに寂しいです。「ゲームは、その上達速度に個々人や、ゲームジャンルによる違いはあるにせよ、プレイする度に上手くなっていくものである」という意見を自分は提示したいと思います。

*1:「スーパーファンタジーゾーン」、「暴れん坊天狗」、「トランスフォーマー コンボイの謎」など

*2:モンスターハンター」シリーズなどは良い例でしょう

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