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約束の地

あの日あの時のキャロの想い出

読書と劣等感

僕は他の人より多くの本を読んでいる」。

そう思っていた時期があった。中学・高校の頃だった。だけど、すぐにそれは間違いであったことに気づいた。

中・高・大と一緒だった友人の家に初めて遊びに行ったとき、彼の本棚を見て、彼は僕なんかよりずっと読書家だったことが分かったのだ。彼はそのことを周りにこれっぽっちも顕示していなかった。おそらく彼の中で読書というものは日常生活における当然の行為であり、それをわざわざ顕すことに価値など感じていなかったのだ。

一方の僕はと言えば、休み時間や休講のときに、勉強する気が起きなかった場合などにはおもむろに何冊かの本を机の上に積み上げてこれ見よがしに読書をしていた。そういう自分に少し酔っていた部分もあったのだと思う。そんな僕を見て、彼はいったいどう思っていたのだろうか。

彼は漫画もよく読んでいた。当時は「モーニング」の「ナニワ金融道」が内々で流行っており、彼はやや難しい法律的内容を全て理解して読んでいた。今で言うラノベだって読んでいた。週刊誌やビジネス誌も読んでいた。ジャンルに偏りがなかった。

中・高の成績では彼はトップクラスだった。僕なんかは相手にならなかった。いわゆる文系にも関わらず、理系の僕よりも数学や理科の成績が良かった*1。数学は理系の範囲までも履修していて、理系用の問題をガシガシ解いていた。おまけに彼は部活(バスケットボール部)でも活躍していたし、文化祭の役員としてもその手腕を発揮していた。

世の中にこんなにも凄い人物がいることに僕はまず驚いた。そんな彼と友達であることに誇りを持っていたが、同時に少なからず劣等感も抱いていた。

彼の家の部屋の本棚は本で溢れていた。僕もそれなりに本を読んできているが、彼の本棚の本の数は、余裕で僕の部屋の本棚の本の量を超えていた。そして僕の読んでいる本はほとんど全て彼も読んでいた。

加えて、作品のジャンルも多岐に渡り、政治や宗教や古典、哲学や経済や経営学や帝王学から、自然科学や娯楽に至るまで、あらゆるジャンルの本を読んでいた。もちろん漫画も読んでいて、ラブコメやギャグといったものから、スポーツやサスペンスといったものまでカバーしていた。

僕は読書についてはミーハー的な部分があり、フィッツジェラルドサリンジャートーマス・マンやヘミングウェイ、ゲーテドストエフスキー、ヘッセや魯迅杜甫などを好んで読んでいた。ところが彼はそのような作家の作品は当然に読んだ上で、さらに僕が知らないような作家の作品を数多く読んでいた*2。当時の僕には難しくて読むことを避けていた作品も、彼は読んでいた。

彼から涌き出る教養や知性というのは、その膨大なる読書量から来ていたのかもしれない。本から得た知識が、学校の勉強にそのまま役立つことはよくある。現国などはその最たる例だろう。彼の崇高なる日頃の行動や考え方というものも、読書の内容が反映されていた結果なのかもしれない。

彼はいつも本を片手に持ち歩いているようなタイプの読書家ではなかった。普段は普通に勉強し、遊び*3、規則正しく寝ている普通の人物だった。しかし、彼はそのまま莫大な量の読書を続けながら中・高と6年間を突っ走り、ほぼ完璧といえるぐらい素晴らしい業績を残して卒業をした。大学にも容易に合格することができた。受験勉強の合間にも彼は読書を続けていた。

僕は浪人をしたので、大学での学年は彼の方が上だった。彼は何一つ苦労することなく大学に入り、そして大学での勉強とともに自身が目指す資格のための勉強に励んでいた*4。おまけにサークルでリーダー的立場も担っていた。彼はそういう時の中でさえ読書を欠かすことはなかった。タイミング良く図書館に行くと、いつものように驚異的な速さで読書をしている彼の姿を見つけることができた。

読書量とそれにより獲得された英知というものは必ずしも比例するものではないと思う。特に僕は気に入った作品があれば繰り返し繰り返しそれを読んでいた。「グレート・ギャツビー」や「ノルウェイの森」などは本が真っ黒になるまで繰り返し読んでいた。特に好きなシーンのページには付せんを貼って、暇を見ては読み返していた。

だから僕の単純計算での読書量(時間)は多いかもしれないけれど、そこから得られたものは必ずしも大きなものではなかった。僕にとって読書とは知識を得るためのものではなく、心を落ち着けたり幸せな時を過ごしたりするための手段だった。

彼も読書に対して全く同じようなスタンスをとっていることを、高校のときに彼本人から聞いた。読書によって知識を得て頭を良くするなどという打算的なことはなく、読書によって自分自身を見返すことができればよいのだ、ということを彼は僕に言った。ますます彼の存在が大きくなっていく気がした。

なぜ彼はそんなに本を読むことができたのか?

まず、彼は基本的に本を読み慣れているためか、読む速度が僕らと比べて相対的に速い。図書館で彼が本を読んでいるところに一緒になったことがあるが、客観的に見てその読書スピードはとても速かった。もちろん読む速さはその内容に依存するが、難解と言われる哲学書などでも彼は読むのが速かった。そしてちゃんと内容を理解していた。

僕は難解な本の場合、文字だけ読んで内容を理解しないまま読み進めるということをよくやっていた。実質的に読んでいないのと同等である。とにかく読み切ることが大切だと考えていたし、全部を読んでから分かることもあると思うので、まず第一に読破することを読書のときに自分に言い聞かせていた。

彼が本を多く読むことができたもう一つの理由は、彼がしっかりと読書のための時間を一日に設けていたところにある。何時から何時までは読書をする時間、と決めていたのだ。ただ、それはまた、読書の時間を制限しているということでもある。決められた時間内に読書をするのだから、どうしても読書量は限られてしまう。

しかし前述のように、彼の読むスピードは速い。そして内容の理解力も抜群である。あっという間に読書を進めていく。ライトノベルや漫画、軽い新書ものだったら1日に数冊は読んでしまうのだ。

僕は読書をする方ではあるが、彼には遠く及ばなかった。今も読書を続けているが、中学生の頃の彼にさえ近づくことはできていないだろう。そしてそんな今現在、彼はますます読書の幅を広げていく。これでは二人の知性に差が出て然るべきであろう。

彼を友達として持てたことはとても良いことだと思う。自分の弱さや力の無さを知ることができたのだから。ただ、それがマイナスの方向に突き進んでいくことは避けねばならない。すなわち、必要以上に劣等感を抱くべきではないということである。そうしないと、また負のスパイラルに陥って抜け出せなくなる。

今回、まとまった文章として彼のことを書いたのには、そういう理由がある。文字として表すことで、自分自身に対して必要以上に落ち込むことを防ぐ狙いがある。その目的は達せられただろうか。達せられたことを願いたい。自身の立場を自認できたことを願いたい。

僕は僕のペースで、読書をはじめとした物事を進めていけばいいのだということを。

*1:蛇足だが、僕はこの文系とか理系とかいう区別が好きではない。その区別の基準が本質的でないからだ

*2:残念ながらそれらの作家の名前は思い出せない

*3:よく一緒にゲーセンやカラオケに行った

*4:この資格試験に彼は余裕で合格をした

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