約束の地

あの日あの時のキャロの想い出

リア充とネト充とライフ充

物事にはは出会いの季節がある。と同時に別れの季節もある。春先などが最たる例であろう。

ネット関係で言えば、新しくWebサービス(SNSなど)に加入したり、blogを始めたりする人が出てくる。それと同時に、多忙となり、それらのサービス更新を停滞する人もいる。フリーソフトの作者などが音信不通になってしまうのも、よくあることである。。

背景には、ネット世界と実世界との比重の置かれ方に変化が出ることが挙げられる*1。生活環境の変化によって比重の置かれ方がこれまでと異なるようになり、それがどちらの世界での生活に時間を割くかにつながってくる。結果として、リア充かネト充かに(一応)分かれることになる。

自分の場合で言えば、今のところ、リア充かつネト充という非常に恵まれた(?)環境にある。これは、日中常にインターネットにつながったディスプレイと対面している*2状況があるからこそだと思う。

ただ、局地的にリアルあるいはネットに多く時間を割くことがあり、それはエントリの投稿間隔やはてブ、その他自分が利用しているWebサービス*3を監視してくれれば分かると思う。

ここ数日はリア充であったためエントリの更新間隔が開いている。しかし今現在はネト充にあって、このようにエントリをたらたらと書き連ねているところである。はてブもガシガシ登録している。写真もフォト蔵に上げようとしているし、Twitterでも適度につぶやく。

このようにリア充とネト充を使い分けられるのは、前述のような環境による部分も多いと思う。だが何よりも、それぞれの世界において繋がりを持ちたいと思う強力なモチベーションが下地にあるという理由が大きいように思う。

SNSなどはその両方のもモチベーションの下地の典型で、リアルかつネットでともに見知った人同士がつながっているという連帯感がある。普段は地理的理由などから会うことができない仲間とも容易にコミュニケーションが取れる。素晴らしい。

おそらくリアルに知り合った多くの素敵な人たちがいなければ(=リア充でなければ)SNSを続けようとは思わないだろう(=ネト充から遠ざかる)。

結局、リア充とネト充とは「あちらを立てればこちらが立たず」のような関係ではなく、両者が相まって一つの充実した「ライフ充」なる生活充実感を生み出すものであると考える*4。この「充」を手にした人には、大きな生活力、生命力が体に心にみなぎるに違いない。そしてそれは、さらに日々の「ライフ充」を促進させるはずだ。

リア充とネト充、対立するものとしてとらえていては、真の「充」は得られない。

*1:ネット世界も実正解の一部なのだが、あえて区分するためにこう書く

*2:していなければならない

*3:フォト蔵Flickr、Zoome、Twitter、などなど…

*4:LifeHackに近い

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